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佐藤 一輝
  • カーライフサポーター

車を売ることに人生を賭けた男

佐藤 一輝

古城モータースに入社したきっかけを教えてください。
入社したきっかけ
本当に恥ずかしい理由なんですけど、 一番最初に内定をいただいたからです。
最初の出会いは学生時代に県外から帰ってきた友人が合同説明会に行くのに、足がないって言うんで会場に連れて行ってあげました。自分は行く気がなかったので待ってる間に喫煙所にいたら松原部長が来られて、 一緒にタバコ吸いました。松原部長に「中入らんの?」って聞かれたんですが、その時スーツも着てなかったのでちょっと気まずくて入れないって言って。そしたら何月何日古城モータースの説明会があるし、私服でいいからおいでよって言われて。「わかりました。行きます。」みたいな感じの出会いでした。
それでは就活はあまり本気でやっていなかったんですか?
就活の本気度
そうなんですよ。周りがやってるほど熱量は全くなくて。ずっと野球やってたので、ぶっちゃけ、そのつてで入れる会社が実はいくつもあったんです。まあ困ったらそこに野球やるっていう前提で入れるし、今慌てて就活なんかやる必要はないなって思ってました。
いくつか選択肢があった中で古城モータースを最後に選んだ決め手はなんだったんですか?
古城モータースを最後に選んだ決め手
野球のつてで就職した場合、先輩含め結構知ってる人だらけの会社に入ることになるじゃないですか。それがちょっと望ましくはなかったというか会社に入ってまで昔の上下関係みたいなのが続くのは嫌だなあという思いがあって。古城モータースはそういうの全く無くてフラットな形で入れるというのがあったのは一つ理由です。あとは親に古城モータースから内定もらったよって報告した時に「あんたみたいなの採用してくれる会社他にないから、感謝してそこで頑張りなさい。」と言われたことも記憶に残ってます。
勝手な想像ですが、親御さんがそこまで言われる佐藤さんは結構やんちゃだったんですか?
結構やんちゃだった学生時代
そうですね。本当に最悪やったと思います。警察の方にお世話になることも。。荒れてましたね。
本当にろくでもない人間でした。大学時代の噂とか悪評が色々広がって、知っている人がいるところだったら、社会人になっても色々なことを根掘り葉掘り聞かれるし、就活中も聞かれることが多かったので、そういうのがないところに行きたかったというのはあります。正直、周りに色々迷惑をかけて、自分なりに反省して、もう一回人生やり直したいという気持ちになっていた中で、こんな自分を採用してくれるところもないよな。と思っていた矢先、古城モータースから内定をもらったので、人生を救ってもらったような感じでした。本当に拾ってもらった感覚です。社長との最終面接の時も「根性あるんか?」くらいしか聞かれなくて。普通悪い部分の話とか、なんでそんなことしたの?とか聞かれるじゃないですか。でもそこについてはほとんど触れられず、とりあえず頑張れるかどうかしか聞かれなかったので、ある意味その優しさみたいなのも感じました。それで面接の後、そのまま社長と飲みに行ったのを覚えてます(笑)。
佐藤さんが入社された当時はまだ古城モータースもそこまで大きくなかったと思いますが当時と今の違いはありますか?
入社当時と今の違い
めちゃくちゃありますよ。自分が入社するタイミングで富山店ができたんですね。あまり大きな声では言えませんが、当時は人もそんなにいなくて、めちゃくちゃ忙しかったんです。高岡店1店舗だった営業が2店舗に分かれて半分の人数でそれぞれ営業をしていたような感じです。その時「根性あるか?」って面接の時に社長に聞かれた理由がわかりました(笑)。でも人間関係は今と変わらず、本当にフラットな感じで、上司と部下でギチギチ
の上下関係みたいな感じではなかったので、仕事しながら楽しかったです。フランクすぎて、大丈夫なんかなと思ったくらいです。ある意味想像を超えてました。でもやっぱり忙しすぎて、実は1年目の最初に一回逃げ出したこともあるんですよ。でも戻ってきたら、問い詰められることもなく、「よう戻ってきたな」みたいな感じで、同僚、先輩というより仲間みたいな感覚でした。人が足りてなかったので、めちゃくちゃ迷惑かけたはずなんですけど、問い詰めたりしない。人情溢れる人たちが当時からいらっしゃいました。
もちろん今では会社も成長して、人数も増えたし、働き方も変わって残業も減ったし、働く環境はめちゃくちゃ良くなりました。
車を売ることに人生を懸けた男というキャッチコピーについて
キャッチコピーについて
人生懸けてるかどうかわからないですけど、本気でやっているというのはあります。でも改めて考えると、これ意外と人生懸けてるかもしれんな。というよりこの仕事に人生を作ってもらった、この仕事に人生を救ってもらったというのに近いかもしれません。なのでその恩を返したいという思いが強いです。会社に拾ってもらって、社長に拾ってもらって、営業という仕事で、社長に一番喜んでもらえることって、車を販売することだと思ってるんで、誰よりもその思いが強い自信がありますね。
営業の中でこだわりはありますか?
仕事へのこだわり
例えば100万円の同じ車があったとして、その100万円の車を120万円で売ったり150万円で売ったりとかって、付属品を一緒に買ってもらえるかどうかとか、その営業マンの力量みたいなところがあるんですね。同じ車を売るのでも売り方で100万円で買ってくれるお客様もいれば、150万円で付属品と一緒に買ってくださるお客様もいらっしゃる。そういうのは営業をやっていて面白いことかなと。その中でもこだわりとしては車を買っていただくということを軸に、絶対にブラさないということ。会社にとってマイナス利益になることもあるんですが、一時的にはマイナスになったとしても、必ずうちのお客様として、満足していただく自信がありますし、そうすると紹介だったり、整備の依頼をしてくださったり、買い替えも古城で車を購入してくださったりという形で繋がっていきます。長期的に繋がるということを信じて、まず買ってもらうということには絶対的なこだわりを持ってます。

車販売台数日本一になられたのもそのこだわりからでしょうか?
車販売台数日本一になれた理由
日本一を狙っていたとかではなく、こだわりを貫いていたら全部後から付いてきたという感じでした。かっこつけるとかではなくて、本当に会社に、社長に恩が返したくて、自分でわかりやすく貢献できることが車を売ることでしかなかったんですよ。あの時のクソみたいな自分を採用して、よかったなと社長にも会社にも思ってもらえるようにと思ってやっていました。
学生時代に頑張っていたことは何ですか?
学生時代に頑張っていたこと
野球です。小学校から高校までやってました。中学までは大阪にいた影響もあり、小学校から硬式野球のクラブチームで、中学でも学校の野球部には属さずシニアリーグで野球を、高校では富山県名門の高岡商業で野球を学びました。小学校から高校までとにかく野球しかしてこなかったです。
休日の過ごし方や趣味を教えて下さい。
休日の過ごし方
家族と過ごすことがほとんどです。子供も2人いるので休日は子供と遊んで一緒に昼寝してまた遊んでと、正直仕事より疲れます。笑
でも子供たちが元気にわいわい遊んでいる姿を見ると親としては嬉しい気持ちにもなり、遊び方も月日と共に成長しているので微笑ましいひと時です。最近はYouTube見せろとうるさいですが笑

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